神を畏れ、低められる者に主の祝福を | サムエル記下 6章

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サムエル記下 6章

主の御前でダビデは力のかぎり踊った。彼は麻のエフォドを着けていた。ダビデとイスラエルの家はこぞって喜びの叫びをあげ、角笛を吹き鳴らして、主の箱を運び上げた。…サウルの娘ミカルは窓からこれを見下ろしていたが、主の御前で跳ね踊るダビデ王を見て、心のうちにさげすんだ。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 サムエル記下 6章14節~16節

神を畏れ、低められる者に主の祝福を

イスラエルの都、「ダビデの町」として整備が進められるエルサレムに主が共におられる。その平安を求めて、神の箱が運び込まれます。箱には民を教え導く契約の板が納められていました。そこに神の御心が刻まれている。その御心を讃える国造りをダビデは願います。

箱の移送には、ダビデ自らが陣頭指揮にあたります。しかし、不注意による事故、いやその事故に神への畏れの欠如と無知を見たダビデは、神の怒りを誠実に畏れます。そしてエルサレムまでの道のりを改めて神への礼拝として進みゆくことにします。民と一緒に、心と力の限りを尽くして賛美の舞を踊り続けます。

が、その姿はミカルにとってさげすむべきものでした。彼女には超然たる王として歩んだ父の姿が理想としてあったのでしょうか。そのミカルにダビデは言います。「わたしはもっと卑しめられ、自分の目にも低い者となろう」(22節)。そうあることがダビデにとって主の御前に王として歩むことでした。神を畏れ、低められる人の心に主の祝福が豊かにありますように。

柏木 貴志(岡山教会)