「私は天国そのものに入った」 | ローマの信徒への手紙 3章21-31節

RCJメディアミニストリー「ふくいんのなみ」のトップページへ戻る

ローマの信徒への手紙 3章21-31節

ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。人は皆、…ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ローマの信徒への手紙 3章21節~24節

「私は天国そのものに入った」

福音主義的回心について、ルターが晩年に書いている言葉に耳を傾けましょう。

「いかに欠点のない修道士として生きていたにしても、私は…私の償いをもって神が満足されるという確信をもつことができなかった。だから私は罪人を罰する義の神を愛さなかった。いや、憎んでさえいた。…だが、神は私を憐れんでくださった。私は『神の義は福音の中に啓示された。義人は信仰によって生きると書かれているとおりである』ということばのつながりに注目して、日夜たえまなくそれを黙考していた。そのとき私は、神の義によって義人は賜物を受け、信仰によって生きるという具合に『神の義』を理解しはじめた。これこそまさしく、神の義は福音によって啓示されたということであり、神はその義により憐れみをもって信仰により私たちを義としてくださる、という具合に受動的義として理解しはじめたのである。…今や私はまったく新しく生まれたように感じた。戸は私に開かれた。私は天国そのものに入った」(徳善義和『マルチン・ルター 原典による信仰と思想』リトン、2004年、32、33頁)。

袴田 康裕(神戸改革派神学校)