エレミヤ書 32章
主の言葉がエレミヤに臨んだ。
「見よ、わたしは生きとし生けるものの神、主である。わたしの力の及ばないことが、ひとつでもあるだろうか。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エレミヤ書 32章26節~27節
生きとし生けるものの神
風間 義信(仙台教会)
主の言葉がエレミヤに臨んだ。
「見よ、わたしは生きとし生けるものの神、主である。わたしの力の及ばないことが、ひとつでもあるだろうか。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エレミヤ書 32章26節~27節
風間 義信(仙台教会)
2020年8月の聖書日課をまとめて表示します。
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主に対して聞き従わず、命じられたことを行わないとき、神の民は神の大きな怒りを買ってしまいます。17節以下にささげられる祈りの中で、エレミヤは神の民の不従順がもたらす神の怒りに言及します。その祈りの後に主はエレミヤに問います。「生きとし生けるものの神、主であるわたしに、力の及ばないことがひとつでもあるだろうか」と。
主を怒らせた民たちは、都に忌むべき偶像を置き、神殿を汚しました。彼らはそれが都を倒すほどのものになってしまうとは考えなかったことでしょう。しかし、その思いは甘いものでした。主の力によってできないことはありません。不従順の民を確実に裁く力をもっておられます。
けれども、「生きとし生けるものの神、主である方に力の及ばないことはひとつもない」というこの言葉には、もっと深い意味があります。単なる万能ということではありません。神は追われた民たちを集め、帰らせ、住まわせることができるお方です。主の怒りは大きなものに違いありません。しかし、怒りの民を帰らせるところにこそ、本当の神の恵みがあります。