ルカによる福音書 18章9-14節
「言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ルカによる福音書 18章14節
主イエスをとおして自己を知る
三輪 誠(浜松伝道所)
「言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ルカによる福音書 18章14節
三輪 誠(浜松伝道所)
2020年3月の聖書日課をまとめて表示します。
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目の前の問題に適切に対処するためには、まず自分の置かれた状況を正しく理解する必要があります。このたとえで登場する二人の人は、どうだったのでしょうか。
ファリサイ派の人は、徴税人を自分と比較し、律法をまじめに守っている自分は御心にかなった正しい者であると理解しています。他方、徴税人は、自らが御心から遠く離れた罪人であると理解し、そのことを嘆いています。この自己理解に基づいて、彼は神に憐れみを乞い、神との和解を切に求めています。
ファリサイ派の人は、自分の置かれた状況を誤って理解していました。自分の置かれた状況を正しく理解することは、この人だけでなく誰にとっても難しいのです。
私たちは皆、このファリサイ派の人と同じような誤解を、多かれ少なかれ自分に対して持っています。だからこそ、「義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない」という主イエスの裁きを、自らのこととして聞く必要があります。それによってはじめて、私たちは、自分の置かれた状況を正しく理解できるのです。