ガラテヤの信徒への手紙 6章
これからは、だれもわたしを煩わさないでほしい。わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ガラテヤの信徒への手紙 6章17節
イエスの焼き印
吉田 隆(甲子園伝道所)
これからは、だれもわたしを煩わさないでほしい。わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ガラテヤの信徒への手紙 6章17節
吉田 隆(甲子園伝道所)
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「イエスの焼き印を身に受けている」とは、強烈な表現です。それは、本来、自分が自分の物ではなく、誰かの所有物としての奴隷の身分を表わす言葉だからです。
このようなパウロの生き様に比べると、人との摩擦を避け、迫害されないために割礼を勧めている人びと(12節)は、何と情けなく見えてくることでしょう。
「イエスの焼き印」を受けた者は、しかし、自らを誇る者ではありません。むしろ、その逆です。自分が弱く何一つ誇れるところのない者であることをよく知っている人びとです(3、4節)。だからこそ、罪を犯す人を柔和な心で導くことができるのです(1節)。互いに重荷を担い合い(2節)、すべての人に親切になれるのです(10節)。
「イエスの焼き印」は、十字架の形でしょうか、それともハートの形でしょうか。いずれにせよ、永遠に魂に刻まれる神の愛の形であることは確かです。そして、この焼き印を身に受けた人びとこそ、神によって新しく創造された人なのです(15節)。
そのような人びとの上に、主イエスの平和と憐れみがありますように(16節)!