薪として火に投げ込まれる | エゼキエル書 15章

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エゼキエル書 15章

「主なる神はこう言われる。わたしが薪として火に投げ込んだ、森の木の中のぶどうの木のように、わたしはエルサレムの住民を火に投げ入れる。…わたしはこの地を荒廃させる。彼らがわたしに不信を重ねたからである」と主なる神は言われる。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エゼキエル書 15章6節、8節

薪として火に投げ込まれる

聖書は、しばしば「ぶどうの木」を神の民を指し示すたとえとして用います。ヨハネ福音書15章は、主イエスがまことのぶどうの木であり、キリスト者はその枝であると語ります。

けれども、エゼキエル書15章で、主なる神はぶどうの木を薪として火に投げ込むと言われます。イスラエルの民に対する滅びの宣言です。イスラエルの民が神に立ち帰ることなく、不信仰な歩みを重ねていたからです(8節)。主なる神は、義しく聖く真実なお方です。罪を放置したままにされません。

この主なる神の滅びの宣言を、私たちは他人事と考えてはいけません。私たちにも、今も働いておられる主の御前に立つことが求められています。自らの姿を顧み、主を畏れ敬い、自らの罪を悔い改めることが必要です。神に立ち帰り、神の義に従って生きることが求められています。

今や主イエス・キリストが与えられて、私たちはキリストによる罪の赦しの内に神の御前に立つことができます。主なる神は、ぶどうが実を結ぶように、私たちに罪の赦しと永遠の命の幸いを惜しみなく与えてくださいます。

辻 幸宏(大宮教会)