主を避けどころとする | 詩編 64編

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詩編 64編

主に従う人は主を避けどころとし、喜び祝い
心のまっすぐな人は皆、主によって誇ります。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 64編11節

主を避けどころとする

「主に従う人」とは「主に結ばれて正しい者」という意味で、詩人本人の自己意識です。神の御前に自分は正しくない人間、御言葉に照らして義ではない罪人です。しかしわたしは、神の憐れみによって罪を赦された者、主の慈しみによって義と認められた僕です。

この恵みにあずかってきた詩人は、自分に言い聞かせます。「わたしは主を避けどころとし喜び祝う」、「罪人をして神を喜び祝わせよ」、「僕をして主を避けどころとさせよ」と。「避けどころとする」という動詞は「隠れ家を捜し求める」という意味です。ただ神の憐れみによって罪を赦されたわたしは、神のみをわたしの避難所として捜し求めよう。ただ主の慈しみによって義と認められた僕は、自分の隠れ家として主を得ることのみに努めよう。そうすることのみ喜び祝おう。

そう自分に言い聞かせた詩人は、「主によって誇る」と礼拝に集う人々に呼びかけます。「主を喜び合う」、「互いに神を誇りとする」という意味です。主を喜び合うことのできる仲間に囲まれた人は、何と幸いなことでしょう。

二宮 創(太田伝道所)