キリストの犠牲を通してなされた和解 | コリントの信徒への手紙二 5章16-21節

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コリントの信徒への手紙二 5章16-21節

「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙二 5章21節

キリストの犠牲を通してなされた和解

功績による救いを教えていたカトリック教会に対して、宗教改革者たちは人間の徹底的な無力と全的堕落を認め、信仰のみによる救い、信仰義認を主張し、ただ恩恵のみによる救いを強調しました。救いの絶対的恩恵性の告白は、人間の中にいかなる救いの根拠も求めず、神のみにその根拠を求めるものでした。

その確信の根拠は、きょうの御言葉にあります。キリストが「罪と何のかかわりもない方」として示されています。神の御子が受肉され、私たちと同じ人間となられ、地上での一切の生活を私たちと同じようにされました。しかし、私たちとは決定的に違う点がありました。罪は犯されなかったのです。神は、その「罪と何のかかわりもない方」を「罪となさいました」。その目的は、「わたしたちのため」です。神が罪のない御子を、私たちの身代わりとして、私たちの罪を背負わせ、罪の刑罰を受けさせられたのは、私たちが「その方によって神の義を得る」ためでした。

これほど大きな犠牲を払って神は私たちを救ってくださいます。「神と和解させていただ」(20節)かない理由がいったいどこにあるでしょうか。

小澤 寿輔(ウェストミンスター日本人教会)