偽りの神殿 | エレミヤ書 7-8章

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エレミヤ書 7-8章

「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。この所で、お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない。」エレミヤ書 7章4節~6節

偽りの神殿

エルサレム神殿は神の臨在の証であり、イスラエルの誉れとして礼拝がささげられていました。多くの参拝者が集う中、エレミヤは神殿の門に立って神の言葉を呼ばわります。

人々は礼拝をささげながら「主の神殿、主の神殿、主の神殿」と口々に賛美を唱えます。これは、そうして3回唱えるとご利益がある、という程の信心であったかもしれません。しかし、「神さま」とか「イエスさま」とか口で呼びかけても、生活のうちに主の教えに従う喜びがなければ、それは虚しい呪文と変わりがありません。イスラエルに与えられた神殿は、そこから語られる神の言葉に聞き従ってこそ人びとの命となります。真の信仰を失った形ばかりの宗教に民の魂を救う力はありません。

神がお造りになるのは見せかけの平和ではなく、神の霊によって正義と愛を生み出す真の平和です。そのために、神は情熱を込めて民に呼びかけ続けます。罪に囚われている人間には自分から悔い改める力はありません。けれども、聖霊が御言葉とともに働くとき、真の悔い改めと信仰によって人は生きることができます。

牧野 信成(長野佐久伝道所)