マタイによる福音書 9章9-13,18-26節
ある指導者がそばに来て、ひれ伏して言った。「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」そこで、イエスは立ち上がり、彼について行かれた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 9章18節~19節
イエスは立ち上がり
宇野 元(芦屋伝道所)
ある指導者がそばに来て、ひれ伏して言った。「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」そこで、イエスは立ち上がり、彼について行かれた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 9章18節~19節
宇野 元(芦屋伝道所)
2018年6月の聖書日課をまとめて表示します。
「マタイによる福音書」の聖書日課をまとめて表示します。
宇野 元が担当した聖書日課をまとめて表示します。
年齢も境遇も違う二人の女性。一人は長く病気に苦しむ孤独なひと。もう一人は人望の厚い父親に愛されている少女。しかし二人は、不安と絶望のうちにあることにおいて結ばれています。主は、彼女たちを癒やしてくださいました。
福音書における主の癒やしは、思えば、どれも唯一の救いの恵みを証ししています。このことが、二人の女性の癒やしが重なりあうことでよく見えてきます。孤独な女性は、すこやかに歩みはじめます。少女についてはこう記されています。「少女は起き上がった」。彼女たちの癒やしは、死の陰の世界に光が輝いていることを告げるものです(イザ書9章1節)。すなわち、私たちは起き上がり、すこやかに生きる者とされます。
この恵みは、自ら倒れ、起き上がった方によります。主イエスが「立ち上がり」と記されていることが印象的です。さらに、「ついて行かれた」とあり、主が悩む者に寄り添うお方であることが表れています。私たちを生かす支えがここに示されています。私たちのために倒れ、起き上がられたキリストが、私たちと歩みを共にしておられます。