解放の朝は来る | イザヤ書 20-21章

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イザヤ書 20-21章

見張りの者は言った。
「夜明けは近づいている、しかしまだ夜なのだ。
どうしても尋ねたいならば、尋ねよ
もう一度来るがよい。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 イザヤ書 21章12節

解放の朝は来る

夜。それは、光の見えない暗闇と不気味な静けさが支配する時です。そこでは、昼間には見えなかったいろいろな思いが心の底から沸き上がってきます。不安や恐れ、悲しみといった思いが色濃くなります。夜の中で、私たちは一刻も早く、朝が来ないかと、強く待ち望みます。朝の光に身も心も照らされて、その日を明るく生きることができれば、どれほど嬉しいでしょうか。

イスラエルとの関係が深かったエドムは、今、アッシリアの支配のもとで苦しんでいます。いつまでこの夜の闇のような苦しみと悩みは続くのか。いつになったら解放の朝は来るのかと、イザヤに問うています。その問いにイザヤは答えます。「夜明けは近づいている」と。近づいているというのは、朝は確実に来る、ということです。解放の時は必ず来るということです。しかし、まだ夜なのです。

私たちは今、どのような時を生きているのでしょうか。夜のような闇が見えている人がいるかもしれません。しかし、神が完全に解放してくださる決定的な朝が、必ず来るという約束に、私たちは希望を見出したいのです。

藤井 真(千里山教会)