2月2日(金) マルコによる福音書 9章 音声を再生できませんでした 「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マルコによる福音書 9章24節 不信仰の中の信仰 悪霊に取りつかれた息子を救うためにこの父親は、これまであらゆる手を尽くしたことでしょう。しかし、そのすべては無駄になりました。ここで彼が「おできになるなら」と言うのも無理はありません。しかし、主はその言葉を切り返されます。「『できれば』と言うか、信じる者には何でもできる」と。主を魔術師の類と考えていた父親に、主イエスはご自分に対する信仰を求められました。 父親はすぐさま、「信じます。信仰のないわたしをお助けください」と叫びました。ここでは自分の信仰の確かさや信念の強さは問題ではありません。信仰はないのです。それを認めて、「信仰のないわたしをお助けください」と求めること、それがここで「信仰」と言われています。「信仰のない」不信仰なわたしを認め、主イエスに求めること、それがまことの信仰です。 信仰は大きさや多さではありません。厚さでもありません。向きが問題です。心がどこに向いているかです。主イエスだけに向けられていくものこそ信仰です。「信じます。信仰のないわたしをお助けください」。私たちの心を主イエスに向けましょう。 三川 栄二(稲毛海岸教会)
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悪霊に取りつかれた息子を救うためにこの父親は、これまであらゆる手を尽くしたことでしょう。しかし、そのすべては無駄になりました。ここで彼が「おできになるなら」と言うのも無理はありません。しかし、主はその言葉を切り返されます。「『できれば』と言うか、信じる者には何でもできる」と。主を魔術師の類と考えていた父親に、主イエスはご自分に対する信仰を求められました。
父親はすぐさま、「信じます。信仰のないわたしをお助けください」と叫びました。ここでは自分の信仰の確かさや信念の強さは問題ではありません。信仰はないのです。それを認めて、「信仰のないわたしをお助けください」と求めること、それがここで「信仰」と言われています。「信仰のない」不信仰なわたしを認め、主イエスに求めること、それがまことの信仰です。
信仰は大きさや多さではありません。厚さでもありません。向きが問題です。心がどこに向いているかです。主イエスだけに向けられていくものこそ信仰です。「信じます。信仰のないわたしをお助けください」。私たちの心を主イエスに向けましょう。