12月25日(月) 第52主日 第六の願いと結び 詩編 103編 音声を再生できませんでした 主はわたしたちをどのように造るべきか知っておられた。わたしたちが塵にすぎないことを御心に留めておられる。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 103編14節 主は私たちを憐れんでくださる 主は私たちの弱さとはかなさをよくご存じです。主がそのように私たちを知っておられるのは、主が人間を土の塵から創造されたからです。そして主は私たちが塵にすぎない者であることをお忘れになりません。 では主が私たちの成りたちを覚えておられることに意味があるのでしょうか。それを解く鍵は、14節の文頭にある「なぜなら」という語です。日本語訳聖書ではそれが省略されています。12節と13節では、主が私たちの背きの罪を赦してくださること、父がその子を憐れむように私たちを憐れんでくださることが語られています。そして14節は私たちに対する神の憐れみの理由を語っています。それは私たちが塵にすぎない者であることを主が覚えておられることです。 私たちは日常生活の中でしばしば自分が塵にすぎない者であることを実感します。そしてその弱さやはかなさに意味はないと考えてしまいます。あるいは、空しさを覚えます。 しかし主は、塵にすぎないことを御心に留めて、憐れんでくださいます。私たちは、塵に過ぎないという自覚から、主の恵みを見上げます。 西田 三郎
関連する聖書日課を探す 2017年12月の聖書日課 2017年12月の聖書日課をまとめて表示します。 「詩編」の聖書日課 「詩編」の聖書日課をまとめて表示します。 西田 三郎の聖書日課 西田 三郎が担当した聖書日課をまとめて表示します。
主は私たちの弱さとはかなさをよくご存じです。主がそのように私たちを知っておられるのは、主が人間を土の塵から創造されたからです。そして主は私たちが塵にすぎない者であることをお忘れになりません。
では主が私たちの成りたちを覚えておられることに意味があるのでしょうか。それを解く鍵は、14節の文頭にある「なぜなら」という語です。日本語訳聖書ではそれが省略されています。12節と13節では、主が私たちの背きの罪を赦してくださること、父がその子を憐れむように私たちを憐れんでくださることが語られています。そして14節は私たちに対する神の憐れみの理由を語っています。それは私たちが塵にすぎない者であることを主が覚えておられることです。
私たちは日常生活の中でしばしば自分が塵にすぎない者であることを実感します。そしてその弱さやはかなさに意味はないと考えてしまいます。あるいは、空しさを覚えます。
しかし主は、塵にすぎないことを御心に留めて、憐れんでくださいます。私たちは、塵に過ぎないという自覚から、主の恵みを見上げます。