聖霊が宿られる神殿 | コリントの信徒への手紙一 6章

RCJメディアミニストリー「ふくいんのなみ」のトップページへ戻る

コリントの信徒への手紙一 6章

知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙一 6章19節

聖霊が宿られる神殿

コリントの町にはみだらな行いが満ち溢れており、教会にもかつての風習から抜け出せない人びとがいました。このような人びとに対して、パウロは、みだらな行いを避けるようにと厳しく語ります。それはみだらな行いが特殊な罪だからです。

通常の罪は、体の外側にあります。つまり、通常の罪は自分の体とは別の、物や人に対して行われるものです。しかし、みだらな行いは自分の体に対して罪を犯すことになる、と語っています。自分の体に対する罪は、自分が生きている限り、消えることがないものとして残るからです。

パウロは、信仰者の体はもはや自分自身のものではないことを強調します。なぜなら、信仰者の体は神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿だからです。聖霊は聖なるお方です。ですから、信仰者の体をきよめて住んでおられるのです。

神殿では、神をほめたたえることが求められました。私たちの体は、聖霊によってきよめられ、神を賛美する神殿とされます。神の恵みは私たちの体にまで届きます。ですから、体においても神の栄光が現されるよう祈ります。

岡本 惠