招かれざる者はいない | コリントの信徒への手紙一 11章

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コリントの信徒への手紙一 11章

わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。…」と言われました。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙一 11章23節~24節

招かれざる者はいない

『ハイデルベルク』問81は「どのような人が、主の食卓に来るべきですか」と問うています。実際に主イエスの聖餐の食卓に与ったのは、どのような人びとだったのでしょうか。それは「引き渡される夜」に起こりました。つまり主イエスは、もうすぐこの後に弟子に裏切られ、敵に引き渡されることを知りながら、その弟子たちを招いて、主の晩餐を催してくださったのです。主イエスの周りにいたのは、主イエスを金で売ってしまうユダであり、次の朝には三度も主イエスのことを知らないと言い切って、裏切ってしまうペトロたちでした。しかし主イエスは彼らの裏切りに先駆けて、彼らが赦される道を、主の晩餐とそれが示す十字架とによって開いてくださったのです。

主イエスは「わたしの記念としてこのように行いなさい」とも言われました。主の晩餐は、今を生きるこの私たちに対してこそ差し向けられている、継続的に効力を発揮する記念の行為です。なぜなら十字架で流された主イエスの血と裂かれた肉は、正しい者のためのものではなく、この私たちのような罪人をこそ、救い、赦すためのものだからです。

吉岡 契典(神戸改革派神学校)