神を宝とする | マタイによる福音書 6章

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マタイによる福音書 6章

「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」
「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 6章21節~23節

神を宝とする

なぜ私たちは、世の富に惹かれるのでしょうか?それは、世の富には力があるからです。自分で富をコントロールすることができると考えますが、「あなたの富のあるところに、あなたの心もある」とあるように、逆に富の方に支配されてしまう弱さが私たちにはあります。ですから何を宝とするのかということが、私たちを左右します。

私たちは、神を宝とすることで、正しく神によって支配される人生を歩みます。実に、これほど私たちを生かし、富ませてくれる生き方は他にありません。神を自らの宝としても、金銭的な富を謳歌する人生には直接結び付かないかもしれませんが、そこには神に愛される人生が存在します。私たちが神を自分の宝とするはるか以前から、神は、私たちを愛しご自身の宝物とし、神の愛を必ず悟らせてくださいます。

神を宝として歩む人は、神に守られ、心も顔も素振りもその全身が明るくなります。心が暗くなり、沈み込むこともありますが、聖餐にあずかるとき、キリストの愛に養われている自分を見出します。キリストを見る心の目が開かれている人は、幸いです。

吉岡 契典(神戸改革派神学校)