コリントの信徒への手紙一 2章
しかし、このことは、
「目が見もせず、耳が聞きもせず、
人の心に思い浮かびもしなかったことを、
神は御自分を愛する者たちに準備された」
と書いてあるとおりです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙一 2章9節
想像を絶する完全な祝福
長谷川 潤(四日市教会)
しかし、このことは、
「目が見もせず、耳が聞きもせず、
人の心に思い浮かびもしなかったことを、
神は御自分を愛する者たちに準備された」
と書いてあるとおりです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙一 2章9節
長谷川 潤(四日市教会)
2017年6月の聖書日課をまとめて表示します。
「コリントの信徒への手紙一」の聖書日課をまとめて表示します。
長谷川 潤が担当した聖書日課をまとめて表示します。
聖書は、「この生涯の後」の永遠の命が具体的にどのような状態なのかを詳しくは教えていません。その時が来てからのお楽しみです。しかし、「完全な祝福を受け、神を永遠にほめたたえるようになる」ことだけは約束しています。
パウロはイザヤ書64章3節から引用しながら、この完全な祝福を「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったこと」と表現しています。このイザヤは続く節で、この祝福を「わたしたちはとこしえに救われます」と表現しています。私たちは、今、主イエスを信じるならば、「この生涯の後」に完全な祝福に必ずあずかることができ、永遠に救われるのです。
ですから、順境の時は神への感謝で満たされ、逆境の時は忍耐強くされて、天の王座の主イエスに向かって頭を挙げて歩みます。たとえ、苦しくても悲しくても、聖書の約束によって、想像を絶する完全な祝福が与えられることを確信させられ、慰められて、この世の旅路を歩むのです。
明日は地上の教会で礼拝が行われます。一週間毎の礼拝は、完全な祝福に向かう旅路の中継点です。完全な祝福を再び確信できますように。