なお「しるし」を求めるのか | マルコによる福音書 8章

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マルコによる福音書 8章

ファリサイ派の人々が来て、イエスを試そうとして、天からのしるしを求め、議論をしかけた。イエスは、心の中で深く嘆いて言われた。「どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう。はっきり言っておく。今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マルコによる福音書 8章11節~12節

なお「しるし」を求めるのか

主イエスはさまざまな奇跡を行って自らが神から遣わされた救い主であることを明らかにされました。とりわけ二度繰り返された大いなる給食の奇跡は意味深いものでした(ヨハ6章参照)。しかし、ファリサイ派の人々は執拗に天からのしるしを求めてきました。主イエスを信じ受け入れる気持ちが初めからないのです。そのような不信仰な態度に、主は「決してしるしは与えられない」と拒絶されました。

現代人の多くも依然としてしるしを欲しがっています。しるしを求めることがなかったとしても、「もし神がいるなら」、「神が愛なら」と問いかけています。このような疑問が出てくる世のさまざまな問題はたしかにあります。けれども忘れてならないのは、それをつくり出した原因は私たち人間の罪にあって、神の責任では決してないということです。

主イエスは「ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」(マタ16章4節)とも明言されました。キリストの十字架の死と復活の出来事こそ、昔も今も永遠に変わらない、確かで揺るぎのない天からのしるしです!

濱 民雄