ヨハネの手紙一 1章
初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヨハネの手紙一 1章1節
初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヨハネの手紙一 1章1節
2016年10月の聖書日課をまとめて表示します。
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岡本 惠が担当した聖書日課をまとめて表示します。
私たちにとって、命とは何でしょうか。この世の人生を一歩一歩あゆむ肉体の命を考える方もあるでしょう。その中でどのような生き方をするのか、ということにまで思いを馳せる方もおられるでしょう。そのような肉体の命について考えることは正しいことです。聖書においても肉体の命を大切に考えて生きることは、決しておろそかに考えられてはいません。
ヨハネは、そのことを十分に知ったうえで、「命の言」について語ります。言が、命を支えているのでしょうか。ヨハネが語る「命の言」は、抽象的なものではありません。「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたもの」が、「命の言」です。
実は、ヨハネは、本当の人間としてこの世に来られたイエス・キリストを、「命の言」と呼んでいます。ヨハネは、見て、触れることができたキリストを通して、この世界が造られる前からおられた神なるお方と出会っていることを示されたのです。
「命の言」であるキリストが心に宿られるとき、肉体を含め、私たちの人生は永遠の神の御手に守られます。