誇るべきもの | フィリピの信徒への手紙 3章

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フィリピの信徒への手紙 3章

しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 フィリピの信徒への手紙 3章7節~8節

誇るべきもの

かつてパウロは、律法に関してはファリサイ派の一員、その熱心は教会を迫害するほどで、律法の義については非のうちどころのない者でした。しかし、パウロはダマスコの途上で主イエスに出会った後、有利であったこれらのことをキリストのゆえに損失と思うようになりました。イエス・キリストを知る知識が最も尊いということを知ったからです。

キリストを知るというのは、主イエスの死と復活を知ることです。神は、パウロが律法を完璧に守ったからではなく、イエス・キリストを信じる信仰により、恵みによって彼を「義」と認められました。パウロは自分を「義」としてくださるキリストを得るために、キリストの内にいる者と認められるために、すべてのものを無価値なもの、損失とさえ思いました。

パウロが誇ろうとしているものは、キリストへの信仰による「義」、信仰に基づいて神から与えられる「義」です。私たちの中に信仰に基づいて神から与えられた「義」があることを知るならば、かつて有利であったものが損失に思えるはずです。主イエスを知る知識のみを誇りましょう。

李 根培(仙台栄光伝道所)