サタンにつけ込まれないため | コリントの信徒への手紙二 2章

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コリントの信徒への手紙二 2章

わたしが何かのことで人を赦したとすれば、それは、キリストの前であなたがたのために赦したのです。わたしたちがそうするのは、サタンにつけ込まれないためです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙二 2章10節~11節

サタンにつけ込まれないため

サタンのやり口はエデンの園での誘惑からわかります。サタンは欺きの専門家です。あらゆる機会を用いて、私たちを神から引き離そうとします。パウロが、悩みと憂いに満ちた心で涙ながらに厳しい手紙を書いたのは、サタンの誘惑を覚えたからです。大きな罪が放置されたままであったからです。キリストの栄誉が汚され、つまずく人も出てきました。

解決のための戒規を通して大きな悲しみを経験することもあります。けれども悲しみを通して信仰の目が覚まされてきます。ところが、サタンは次の手も考えています。悔い改めを疑い、一度つけたレッテルや評価を変えないように誘惑します。罪人の中の最たる者と告白するパウロ(1テモ1章15節)もまた、怪しまれた経験があります(使9章21節)。

追い出すことや悲しみに陥れるのが戒規の目的ではありません。十字架は神の義と愛のあえるところです(参照:讃美歌262)。無限の赦しを受けている私たちは、この世とは大きな違いがあります。サタンにつけ込まれないよう赦しの共同体として生きるのです。

西堀 則男