今こそ、踏ん張り時 | ヘブライ人への手紙 12章

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ヘブライ人への手紙 12章

また、だれであれ、ただ一杯の食物のために長子の権利を譲り渡したエサウのように、みだらな者や俗悪な者とならないよう気をつけるべきです。…エサウは後になって祝福を受け継ぎたいと願ったが、拒絶されたからです。涙を流して求めたけれども、事態を変えてもらうことができなかったのです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヘブライ人への手紙 12章16節~17節

今こそ、踏ん張り時

私たちは急に決断を迫られ、一気にその後の進退が決まるようなことに直面するときがあります。主イエスのもとに「正しい人を装う回し者」が現れます。彼らは主イエスの揚げ足を取るため、熟慮を重ねた抜け道のない質問を投げかけました。「ところで、わたしたちが皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか」(22節)。

目の前に困難な現実が続くことで、自暴自棄になってしまって、神への信仰を投げ出してしまいたくなる時があるでしょう。しかし、たくさんの信仰の先輩たちが、まるで沿道からランナーを励ますようにして、私たちを囲んでいます(1節)。今が踏ん張り時だ、と。主イエスは「信仰の創始者また完成者」として(2節)、マラソンを始めさせ、走り抜かせてくださるトレーナーです。この方が、半歩先を一緒に走ってくださっています。

このマラソンからの脱落者の例として、エサウが挙げられているのは興味深いことです。彼は、今すぐここでのインスタントな満腹を求めて、一番大事なものをやすやすと売り渡し、取り返しのつかないことになりました。私たちは、今すぐここでの快楽に流され、永遠の宝の希望から離れてしまうことがないようにしたいのです。

苦しい時こそ、一歩一歩を刻むようにして、毎日こつこつと聖書を読み、お祈りをし、霊的に養われることを求めることです。その積み重ねが、あなた自身を変えてくれます。

坂井 孝宏(湘南恩寵教会)