申命記 32章
主は荒れ野で彼を見いだし
獣のほえる不毛の地でこれを見つけ
これを囲い、いたわり
御自分のひとみのように守られた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 申命記 32章10節
愛が深いからこそ
吉田 崇(吉原富士見伝道所)
主は荒れ野で彼を見いだし
獣のほえる不毛の地でこれを見つけ
これを囲い、いたわり
御自分のひとみのように守られた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 申命記 32章10節
吉田 崇(吉原富士見伝道所)
2016年3月の聖書日課をまとめて表示します。
「申命記」の聖書日課をまとめて表示します。
吉田 崇が担当した聖書日課をまとめて表示します。
「新約に比べ旧約の神には愛を感じにくい」と言われるのに対し、旧約でも神の愛がよく示される一例として、10節が紹介されることがあります。ただその後にはイスラエルに対する主の厳しい言葉が続きます。主の愛と厳しさとが自分の中で折り合いがつかない、と思われる方もあるかもしれません。
そこで今一度、十戒を振り返りましょう。第二戒で主は「わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える」(申5章9、10節)とおっしゃいます。熱情の愛を注ぐからこそ、その愛を裏切る者に厳しくなさるのです。
同様の厳しい愛は、「ぶどう園と農夫のたとえ」(マタ21章他)にも描かれています。そこには、愛するひとり子さえもお遣わしになる神の深い愛が示されています。しかし、その神の忍耐と愛を最後まで拒む者には警告が与えられます。主の愛は裏切られても痛くもかゆくもないような愛ではないことを、旧約も新約も一貫して語っています。