平和をこそ、わたしは語る | 詩編 120編

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詩編 120編

わたしは不幸なことだ
メシェクに宿り、ケダルの天幕の傍らに住むとは
平和を憎む者と共に
わたしの魂が久しくそこに住むとは。
平和をこそ、わたしは語るのに
彼らはただ、戦いを語る。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 120編5節~7節

平和をこそ、わたしは語る

メシェクもケダルも武力を誇った国々です。彼らのことをこの詩編は「平和を憎む者」、「彼らはただ、戦いを語る」と言いますが、神の民もまたそういう彼らの「傍らに」住んでいます。「わたしの魂が久しくそこに住」まなければならないとは全く「不幸なこと」です。「平和を憎む者」という言葉と「彼らはただ、戦いを語る」という言葉に、前からも後ろからも囲い込まれたところに「平和をこそ、わたしは語る」という文があります。これが、私たち神の民の明確な態度表明の立ち位置です。

前後から脅かされる中で平和を語り続けること。それは「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。その名は平和の君」と告げられているお方に従い続けることに他なりません。「地には平和」という讃美歌と共に生まれ、「平和を憎む」私たちの罪によって殺され、復活してなお「あなたがたに平和があるように」と言って私たちの「真ん中に立」ってくださったお方です。このお方のみに従うことが、どのような非常事態においても私たちの態度表明であることに変わりありません。

赤石 純也(伊丹教会)