民よ、今こそ喜べ | イザヤ書 61章

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イザヤ書 61章

主はわたしに油を注ぎ
主なる神の霊がわたしをとらえた。
わたしを遣わして
貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。
打ち砕かれた心を包み

つながれている人には解放を告知させるために。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 イザヤ書 61章1節

民よ、今こそ喜べ

イザヤ書が描く救いの道筋は、大きく長い弧を描くように進みます。イスラエルの民は、バビロンからの解放を経験します。しかしそれは、決してすべての問題の解決ではありません。人間の苦しみを終わらせるのは人間自身ではありません。神による介入、神への徹底した明け渡しが必要です。

神による介入は、歴史を人間の次元から神の次元へ、と引き上げます。主による油注ぎを受けた方、神の霊によって捉えられた方、つまり神からのメシア(油注がれた者)が、救いの歴史に新しい次元を開きます。神ご自身がメシアに油を注ぎ、神の霊を宿らせ、神の徹底した介入なしには決して救われることのない世界に、メシアを「遣わ」されます。

それがクリスマスの恵み、降誕節の奇跡であることは言うまでもありません。まさしく、神は独り子を与えるほどに世を愛してくださいました。独り子を信じる者が、滅びをまぬかれて永遠の命を得るためです。こうして、貧しい人は良い知らせを聞き、「打ち砕かれた心」は包まれました。飼い葉桶に眠る神こそ私たちの希望です。

小野 静雄(瑞浪伝道所・春日井教会)