キリストへの時間

「自分を裁く者からの解放」

放送日
2006年3月12日
お話し
山下正雄(ラジオ牧師)

山下正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 「自分を裁く者からの解放」

 おはようございます。山下正雄です。

 劣等感にさいなまされる…こんな経験は誰でも一度はしたことがあるでしょう。大抵はいつしか自分に自信が持てるようになってそんな思いから解放されるものです。あるいは、自分も他人もそう大して変わらないことに気がついて、自分を卑下しすぎることから解放されるものです。

 しかし、他人が言った一言によって、いつまでもそんな思いから解き放たれないまま、苦しい思いで日々を送っている人もいます。「ダメ人間」というレッテルを他人から貼られてしまったなら、それを自分の力ではがすということはとても難しいことです。

 その昔、パウロという初代キリスト教会の偉大な伝道者は、コリントの教会に宛てた手紙の中で、こんなことをいいました。

 「わたしにとっては、あなたがたから裁かれようと、人間の法廷で裁かれようと、少しも問題ではありません」(1コリント4:3)

 この言葉は裁判制度を否定している言葉ではありません。そうではなく、パウロに対して批判的な人々が自分勝手に下す判断を意に介さないという意味の言葉なのです。人は自分の色眼鏡で人を見てしまいがちです。そんな他人の意見に振り回されていては、自分を正しく保つことも難しくなってしまいます。他人の目を気にし出したら、結局は八方美人になるか、期待に沿えない自分をダメな人間と思うしかなくなってしまうのです。そうであればこそ、他人の先走った独り善がりの判断に翻弄されてはいけないのです。

 しかし、他人の下した批判をものともせずに生きることが難しいのも事実です。もし他人の言葉に耳をかたむけないならば、頑固者といわれてしまうでしょう。意固地な人間だとますます批判されてしまいます。けれども、何故パウロはそんな態度に徹することができたのでしょうか。それは、パウロが自分を正しく判断してくださるお方を知っていたからです。パウロはこう続けて書いています。

 「わたしを裁くのは主なのです。」

 聖書の神だけが、わたしを絶対的に評価してくださるお方なのです。いい意味でも悪い意味でも、わたしの本当の姿、ありのままの姿を知っていてくださるお方なのです。わたしを知っていてくださるこのお方にだけ目を留めて歩んでいる時に、決して他人の勝手気ままな判断や批判に動じてよろめいてしまうことがないのです。

 パウロは他人の判断を意に介さないどころか、自分自身で自分を裁くことをしないといっています。自分の判断は他人の判断よりももっと自分を拘束してしまいがちです。自分で自分がダメだと思い込んでしまったら、劣等感の塊になってしまいます。逆に、必要以上に自分を買いかぶれば傲慢な生き方に陥ってしまいます。

 ですから、パウロは他人の評価でもなく、自分自身の評価でもなく、聖書の神に自分の評価を委ねて歩んでいるのです。このときにこそ、わたしたちは自分をさいなむ劣等感から自分を解放することができるのです。

 パウロはさらにこう書いています。

 「ですから、主が来られるまでは、先走って何も裁いてはいけません。主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てをも明らかにされます。そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります。」

 聖書の神にすべての評価を委ね、せいいっぱい神の御前で歩みましょう。

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