山下正雄(ラジオ牧師)
メッセージ: キリストの日に備えて
おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
新約聖書の中にはパウロという人が書いた手紙が何通も収められています。その手紙を読むと、キリスト教会が何を大切にしてきたかが明らかになります。その一つに「キリストの日」というキーワードがあります。
それはキリストが救いの完成のために再びわたしたちのところに来てくださる日であり、最後の審判の時でもあります。最後の審判という言葉は、いろいろな意味で人の心を波立たせる言葉だと思います。特にこの言葉を真面目に受け取る人にとっては、自分の生涯が神の裁きに耐えられるだろうかと心配になります。
そのパウロはフィリピの信徒への手紙1章10節でこう祈っています。「キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となりますように」
パウロは他の手紙の中でも同じようなことを祈っていますが、それには大きな前提があります。それは救いの善い業を始められた神は誠実なお方で、必ずその業を完成してくださるという確信です。自分自身の内側に目を留めるとき不安が大きいかもしれません。しかし、神に目を留めるとき希望を持つことができるのです。
きょうのみ言葉…「そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができるように。」フィリピの信徒への手紙1章10節11節