聖書を開こう

神の約束は消えていない(出エジプト記6:1-13)

放送日
2026年10月29日(木)
お話し
山下正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:神の約束は消えていない(出エジプト記6:1-13)


 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 何かを信じて、一歩を踏み出したのに、かえって状況が悪くなってしまった。そんな経験はないでしょうか。

 勇気を出して話し合ったのに、問題は解決しない。それどころか、相手の態度がますます厳しくなる。そうなると、「あのとき行動しなければよかった」「もう何も期待しない方がいい」と思ってしまいます。

 聖書にも、そんな経験をした人たちが登場します。

 それでは早速、きょうの聖書箇所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は旧約聖書 出エジプト記6章1節~13節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 主はモーセに言われた。「今や、あなたは、わたしがファラオにすることを見るであろう。わたしの強い手によって、ファラオはついに彼らを去らせる。わたしの強い手によって、ついに彼らを国から追い出すようになる。」
 神はモーセに仰せになった。「わたしは主である。わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主というわたしの名を知らせなかった。わたしはまた、彼らと契約を立て、彼らが寄留していた寄留地であるカナンの土地を与えると約束した。わたしはまた、エジプト人の奴隷となっているイスラエルの人々のうめき声を聞き、わたしの契約を思い起こした。それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい。わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う。そして、わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であり、あなたたちをエジプトの重労働の下から導き出すことを知る。わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると手を上げて誓った土地にあなたたちを導き入れ、その地をあなたたちの所有として与える。わたしは主である。」
 モーセは、そのとおりイスラエルの人々に語ったが、彼らは厳しい重労働のため意欲を失って、モーセの言うことを聞こうとはしなかった。
 主はモーセに仰せになった。「エジプトの王ファラオのもとに行って、イスラエルの人々を国から去らせるように説得しなさい。」
 モーセは主に訴えた。「御覧のとおり、イスラエルの人々でさえわたしに聞こうとしないのに、どうしてファラオが唇に割礼のないわたしの言うことを聞くでしょうか。」主はモーセとアロンに語って、イスラエルの人々とエジプトの王ファラオにかかわる命令を与えられた。それは、イスラエルの人々をエジプトの国から導き出せというものであった。

 イスラエルの人々は、エジプトで奴隷となり、厳しい労働を強いられていました。神はモーセを遣わし、民をエジプトから導き出そうとされます。

 ところが、モーセがファラオに民を去らせるよう求めると、ファラオはそれを拒みました。それだけではありません。民の労働をさらに厳しく過酷なものにしました。

 民はモーセを責めました。モーセも神に訴えました。神に従おうとしたのに、事態はどんどん悪くなっていきます。

 そんなとき、神はモーセにこう言われました。

 「今や、あなたは、わたしがファラオにすることを見るであろう。」

 人の目には、何もかもうまくいっていないように見えます。しかし、神の計画は行き詰まっていません。ファラオが強い力を持っているように見えても、神はご自分の力によって民を導き出すと約束されます。

 続いて神は、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を語られます。神は彼らに、カナンの土地を与えると約束されました。そして今、エジプトで苦しむイスラエルの人々のうめき声を聞き、その契約を思い起こされます。

 神が契約を思い起こされたというのは、それまで約束を忘れていたという意味ではありません。忘れていたのではなく、アブラハムに予告した通り、400年の歳月が流れ、時が満ちたからです。神は、先祖に与えた約束に基づいて、今、行動されます。

 イスラエルの人々は、長い苦しみの中にいました。神が助けてくださるという希望を、見失いそうになっていたでしょう。しかし、彼らが希望を失いかけていても、神は彼らを忘れておられませんでした。

 神は6節から8節で、これからなさることを繰り返し約束されます。重労働の下から導き出す。奴隷の身分から救い出す。そして、ご自分の民とし、ご自分が彼らの神となる。さらに、先祖に約束した土地へ導き入れる。

 ここで大切なのは、神がイスラエルの人々を、ただ苦しい場所から連れ出しただけではないということです。神は彼らをご自分の民とし、彼らの神となってくださいます。救いとは、苦しみからの解放であると同時に、神との関係に生きることでもあります。

 そして、この約束の土台は、イスラエルの人々の強い信仰ではありません。モーセの優れた話し方でもありません。神ご自身が約束をなさり、その約束を成し遂げてくださる。そのことが希望の土台なのです。

 ところが、話はここで終わりません。

 9節には、モーセが神の言葉を伝えても、イスラエルの人々は聞こうとしなかった、とあります。厳しい重労働のために、意欲を失っていたからです。

 神は希望を語られました。しかし、民にはその言葉を受け止める余裕さえありませんでした。

 モーセもまた、弱さを覚えます。イスラエルの人々でさえ自分の言葉を聞かないのに、どうしてファラオが聞くだろうか、と神に訴えました。

 ここには、私たちにもよく分かる人間の姿があります。苦しみが長く続くと、希望を語られても心に入ってこないことがあります。神を信じたいと思っても、目の前の現実が重すぎて、信じる力さえ残っていない。そんなときもあるでしょう。

 けれども、注目したいのは、そのような民やモーセに対して、神がご自分の使命を取り消されなかったことです。民が聞くことができなくても、モーセが自信を失っていても、神はイスラエルをエジプトから導き出すという計画を進めていかれます。

 これは、神を信じれば、すぐに問題が解決するという意味ではありません。聖書は、信仰を持てば苦しみがなくなる、と約束しているわけでもありません。

 そうではなく、目に見える状況が変わらないときにも、神の真実は変わらないということです。私たちの気持ちは揺れ動きます。希望を持てる日もあれば、何も信じられないように感じる日もあります。それでも、私たちが神を信じる力を失いかけているからといって、神の約束まで消えてしまうわけではありません。

 出エジプト記が語る神の救いは、聖書全体の救いの物語へとつながっています。神はイエス・キリストによって、私たちを罪と死の力から救い出してくださいました。キリストの十字架と復活は、神が救いの約束を確かに成し遂げてくださることを示しています。

 今、あなたも、祈っているのに何も変わらないと感じているかもしれません。信じて歩んできたのに、かえって苦しくなったと思っているかもしれません。

 そんなとき、目の前の状況だけで、神が自分を忘れたと決めつけないでください。私たちには先が見えなくても、神はご自分の約束に真実なお方です。

 神の約束は消えていません。そのことを心に留めながら、今日の一歩を歩んでいきましょう。

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