リジョイス聖書日課

黙示録3章 主イエスは心の戸をたたいている

放送日
2026年9月9日(水)
お話し
袴田康裕(神港教会牧師)

9月9日(水) 黙示録3章

「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』ヨハネの黙示録 3章20節

 3章には、三つの教会に宛てたキリストの手紙が記されています。最後に記されているのが「ラオディキアにある教会にあてた手紙」です。

 ラオディキア教会の問題は何だったのでしょうか。主は言われます。「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい」(15節)。彼らの問題は、信仰の生ぬるさでした。では、なぜ彼らの信仰は生ぬるくなっていたのでしょうか。

 ラオディキアは経済的に繁栄していた都市でした。人びとは「わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない」と言っていました(17節)。豊かさの中で自分を見失い、自分たちの力に依り頼んでいました。それが「生ぬるい信仰」でした。

 主は彼らに回心を呼びかけられます。「悔い改めよ」と言われます(19節)。さらに、切実な主の呼びかけが続きます。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう」(20節)。

 生ぬるい信仰の私たちに対して、主は辛抱強く心の戸をたたかれます。私たちが心の戸を開ければ、主との豊かな交わりが開かれるのです。

 【祈り】

 主よ、心の戸をあなたに向かって開きます。どうぞ、お入りください。