リジョイス聖書日課

マタイ21章33-46節 ぶどう園と農夫のたとえ

放送日
2026年10月4日(日)
お話し
村田寿和(羽生栄光教会牧師)

10月4日(日) マタイ21章33-46節

「そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』マタイによる福音書 21章37節

 主イエスは、祭司長や民の長老たちといったユダヤの指導者に、ぶどう園と農夫のたとえを話されました。

 このたとえ話の主人は神であり、ぶどう園は神の民イスラエルであり、農夫たちは指導者たちです。主人が送った僕たちを農夫たちが殺したとは、主なる神が遣わした預言者たちをユダヤ人が殺したことを意味します。また、主人は「わたしの息子なら敬ってくれるだろう」と言って息子を送りますが、農夫たちは「これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう」と言って、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまいます。これは、指導者たちが御子イエス・キリストを殺してしまうことを示しています。そして、そのとおり、主イエスは十字架につけられました。指導者たちは、神のぶどう園を自分たちのものにしたいという貪欲から、生けるまことの神を拒んだのです。

 主イエスは、詩編を引用して、「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える」とおっしゃいます(42節)。殺された御子イエスが「隅の親石」となり、教会の基になられるということです。こうして罪人の罪を贖う神の御業が成し遂げられました。神の御業は偉大です。

 【祈り】

 天の父よ、あなたが送ってくださった御子イエスを敬って、神の国を受け継ぐことができますように。