リジョイス聖書日課

ゼカリヤ13章 試練を経て精錬された神の民へ

放送日
2026年10月1日(木)
お話し
坂部勇(厚木教会牧師)

10月1日(木) ゼカリヤ13章

その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れを洗い清める一つの泉が開かれる。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』ゼカリヤ書 13章1節

 13章は、「罪と汚れを洗い清める一つの泉が開かれる」という約束から始まります。これから語られる清めの御業は、すべてこの泉から流れ出ます。

 まず、数々の偶像の名が取り除かれ、偽預言者たちも汚れた霊も、この地から追い払われます。神は、この地上世界の腐敗を完全に清められます。

 さらに神は、わたしの「羊飼いを撃て」と言われ、羊の群れは散らされます(7節)。この御言葉を、主イエスはゲツセマネの夜、ご自身の受難と弟子たちの離散として引用しておられます(マタ26章31節)。

 続いて、この地のすべてで「三分の二は死に絶え、三分の一が残る」と語られます(ゼカ13章8節)。これは、契約の民に下る裁きと、そこから残される者を示します。残された三分の一は、なお火の精錬を通されます(9節)。けれどもそれは罰ではありません。火を通った民が御名を呼び、神に「彼こそわたしの民」と呼ばれ、自らも「主こそわたしの神」と告白します。この精錬を経て、まことの神の民が確かにされていくのです。

 この精錬は、神の民となるための条件ではありません。冒頭の泉によってすでに清められ、「わたしの民」と呼ばれた者を、いよいよ清くするための御手なのです。

 【祈り】

 神よ、どうか、あなたの洗い清める泉の恵みを深く覚えることができるようにしてください。