
豊田真史(南与力町教会牧師)
メッセージ:静かにしていれば
【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。高知市にあります南与力町教会の牧師をしております、豊田真史と申します。教会では、今日もあなたの心と体、日々の生活が守られるようお祈りをしております。
さて、今日も聖書のお話から、神様がどのようなお方であるのか、共に考えてみたいと思います。
あなたは、慌てふためいて、周りが見えなくなることがあるでしょうか。私は、恥ずかしながらよくあります。特に難しい問題が自分の目の前にある時、私はよく狼狽えてしまいます。視野がどんどん狭くなっていき、自分がどうしたかったのかもよくわからなくなることがあります。本当に恥ずかしい限りです。
けれども、わたしはそういう困ってしまった時、やはり聖書の言葉を思い出します。その一つが、イザヤ書30章15節にある御言葉です。次のように記されています。「まことに、イスラエルの聖なる方 わが主なる神は、こう言われた。『お前たちは、立ち返って 静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある』。」とても不思議な言葉だと思います。
わたしたちは、困った問題や現実があれば、それを「自分たちでなんとかしなくては!」と懸命に努力します。私もそうですし、あなたもそうだと思います。けれども聖書は、驚くようなことを述べます。「静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある。」と述べるのです。
その手の働きを止めなさい、神様に信頼して、安んじていることに力があり、それによってわたしたちが救われる、というのです。果たしてこれは、どういうことでしょうか。「困った時に自分で何もせず、神に信頼する。」…どこか頼りない気がします。「そんなことでは、わたしたちは生きていけない!」と、この聖書の言葉に抗議したくなる気が致します。なぜ、こんなことが語られているのでしょうか。
本日のイザヤ書30章15節が語られた際、具体的な歴史的現実がありました。それは、この聖書の民であるイスラエルが、大国アッシリアに攻め込まれるという、危機的な状況にあったのです。平穏な時代ではなく、国家存亡の危機にあるイスラエルの人々に対して、神様が語られた言葉だったのです。
そういう状況の中で、イスラエルの人々は、まさにわたしたちと同じように、「自分たちでなんとかしなくては!」と考えました。必死だったと思います。その中で、当時アッシリアと同じように、あるいはそれ以上に大国でありましたエジプトに、軍事的な支援を求めたのです。そんな中で、イスラエルの人々が忘れていることがありました。それは、「神がわたしたちと共にいて下さる」という現実です。
聖書によれば、主なる神というお方は、確かにこの世界を造られ、今も世界を統治しておられるお方です。けれども、聖書が教えてくれます神様は、絶対者で、なんの感情もなく、ただただ世界に君臨している、そういう冷たい神様ではありません。
そうではなく、聖書がいつも描く神様は、わたしたちと共にいてくださり、わたしたちの苦しみ、痛みに耳を傾けて下さるお方です。神が共にいてくださり、神が導いて下さる、それが、イスラエルの民に示された神様でした。けれども、この国家的危機を前にして、イスラエルの人々は忘れてしまっていたのです。神様への信頼を忘れ、自分たちだけでなんとかしようと、懸命に努力しました。
今日のわたしたちも、当時のイスラエルの人々の気持ちがよくわかると思います。そんな大変な時だからこそ、右往左往し、外国の国という、すぐに頼れる、目に見える力に頼ろうとしたのです。けれどもそんな中で、人々が見えなくなってしまっている、あるいは忘れてしまっている現実を、今日の聖書の箇所は私たちに教えてくれています。本当に世界を統治し、本当に導いておられるのは、目に見えない神様である、ということです。
「お前たちは、立ち返って 静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある。」…わたしたちが本当に頼りとしなければならない、あるいは、頼りとすることができるお方が、生きておられます。その現実に、わたしたちは今週も目を向けたいと思います。
静かに神に思いを向ける、その中でわかってくることがきっとあります。困難な現実にいるあなたが、ぜひ、静かに思いを神に向けて下さるように祈ります。
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