
豊田真史(南与力町教会牧師)
メッセージ:主は羊飼い
【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。高知市にあります南与力町教会の牧師をしております、豊田真史と申します。教会では、今日も、あなたの心と体、日々の生活が守られるようお祈りしております。
さて、今日も聖書のお話から、神様がどのようなお方であるのか、共に考えてみたいと思います。
現代は、とても不安の多い時代だと思います。経済が不安定です。そんな中で、なかなか先行きの見通しが立てられないのではないかと思います。これからわたしたちはどうなっていくのだろうか、どうしたら生きていくことができるのかと、とても不安になります。そのように語る私も、例外ではありません。あなたと同じように、先々の不安を覚えて、それに押しつぶされそうになる時があります。
そんな時、いつも思い出す聖書の箇所があります。それは、詩編の23編という箇所です。次のように始まります。「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。」(詩編23:1-3)
「主」というのは、神様のことです。そして、この神様が、「羊飼い」として描かれています。これは、文字通り「神様が羊飼い」というのではなく、羊飼いというイメージで神様のことを描いているのです。
「主は羊飼い」…羊というのは、目が悪い動物です。羊飼いが、杖や鞭などで導いてあげなければ、迷ってどこかに行ってしまう、そういう動物です。だから、羊にとって羊飼いというのは、なくてはならない存在です。それとわたしたち人間も同じだ、と言うのです。
私たちは、羊として、先行きが見通せず、右往左往してしまいます。不安になります。けれども、「主は羊飼い」というように、そのわたしたちにも、「神」という羊飼いがいて、人生を導いてくれるのだ。この方についていく時、わたしたちはどこにも迷うことがなく、そして、「わたしには何も欠けることがない」と言っていますように、すべてを神様が導き、すべてを与えてくれるのだ、と聖書は語っています。
私は、不安になるといつも、この聖書の箇所を思い出します。その時私は、「目には見えないけれども、わたしたちには、わたしたちの歩みを導いてくれている『羊飼い』神様がいる。このお方が生きている。だから安心して、神様にお任せして良いのだ。」と、毎回思わされます。そして事実、神様というお方は、わたしたちを確実に導き、養って下さるお方です。
そして、この詩編は、日々の生活を導かれる、それだけを語っているわけではありません。詩編23編の4節には、次のような表現もあります。「死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。」(詩編23:4)
すごいことが書かれています。「死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない」…この言葉を神様に語っている人は、死の陰の谷を歩んでいます。死が身近にある、いつその生涯が閉じられるかわからない、そういう危険の中にいたのです。それでもこの人は「わたしは災いを恐れない」と言うのです。主が羊飼いとして共にいて下さるからです。永遠なる神様を信じる時、わたしたちは、死という恐怖の中でも、「わたしは災いを恐れない」と言うことができるのです。
イエス・キリストというお方は、次のようにも言われました。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」(ヨハネ11:25)
聖書に記された神様は、わたしたちが生きている時にも、必要な導きを与えて下さる方です。私たちは、何も欠けることがありません。また、わたしたちの「死」という現実を前にしても、このお方を信じる時に、「わたしは災いを恐れない」と、私たちは言うことができます。永遠なる神様が共にいて下さるからです。
「主は羊飼い」…この神様を信じるようにと、今日も神様は、あなたに呼びかけておられます。
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