
大木信(坂出飯山教会牧師)
メッセージ:明日のことまで思い悩むな
【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。坂出飯山教会牧師の大木です。昨年四月に、香川県坂出市に引っ越してきました。四国で初めての正月を過ごしました。ラジオをお聞きの皆さん、どうぞよろしくお願いいたします。
人は一日に、3万5千回も「選択」をしながら生活していると言われています。どちらにしようか、こっちにしようか、と選んで生きているそうです。身近な所では、この時期ですと、朝まず布団からいつ出ようか、もうちょっと寝ていようか…で始まる方も多いと思いますし、どっちの道を通って目的地に行こうか、今日のお昼は何を食べようか…などなど、一日は細かな選択の連続である、と言えるでしょう。
私の場合は特に、中学に入ってクラブ活動で何を選ぶのか、野球部にしようか、サッカー部にしようかで、もう何日も真剣に悩んだことを今でも思い出します。間違った選択をしても傷つかない程度のことであれば良いのですが、進路や就職、結婚など、人生の中で大きな選択をしなければならない場合は、たくさん悩んでしまう事もあると思うのです。
今は一月ですから、受験生の方はもとより、人によっては、新年を迎えて何か新しいことに挑戦したい、変化の年にしたい、けれどもでは何をしようか、と思っている方もおられるかもしれません。また、四月に向けて、進路のことや、あるいは人によっては、人事異動を命じられていたり、転勤などを考えているタイミングでもありますので、生活の変化も含めて、これらの事で実は悩んでおられる、という方もあるかもしれません。
しかし、こんな風に新たなチャレンジや進路や将来のことで迷ってしまう時に、一つの「拠り所」とでも言いましょうか、立ち帰る基準を持っている方は幸いだと、私は思います。イエス様はある時、次のようなお言葉をくださいました。「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイ6:34)
イエス様は、本来、人間というものは迷いやすい、悩みやすい存在である、そして人生には悩んでしまうほどの事柄、試練だったり、一筋縄ではいかない出来事が多々あることを、よくご存知だからこそ、このお言葉をくださったのだと思います。
そして人は、こう言った岐路に突然立たされることがあることを、聖書は教えており、そんな風に明日のことまで思い悩んでしまって、「今日」というかけがえのない時までを見失ったように過ごしてしまわないために、クリスチャンは常日頃から、聖書の言葉に聞いて生活している、とも言えます。
悩み多きあなたを、イエス様は憂いておられ、心配し、慈しんでおられます。そして、「私キリストの言葉に聞いてほしい」とお思いなのです。聖書は、神の言葉だと言われます。日頃から聖書に親しむなかで、イエス・キリストに出会い、確かな基準を身に付けて生活することができます。聖書がきっと、あなたにも、確かな言葉で語りかけてくださることでしょう。
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