風間義信(仙台教会牧師)
メッセージ:罪の奴隷からの解放
おはようございます。仙台教会の風間義信です。
新約聖書の中には、いくつもの手紙が納められています。その最初にあるのが、「ローマの信徒への手紙」ですが、これを書いたパウロという人は、書き出しのところで、「キリスト・イエスの僕」(ローマ1:1)と自分のことを紹介しています。ここだけでなく、この「僕」という言葉は、聖書の中でよく見かけます。
これは、「奴隷」と言ってもよいものです。私たちの回りには、奴隷という制度自体はないかもしれません。しかし、聖書の時代には、奴隷の身分の人々も数多くいたようです。そこで、この言葉を使って、「罪の奴隷」という言い方もされます。正直、嫌な感じのする響きではないでしょうか。
「罪」、これは、「的を外れている」ことを表す言葉です。何から外れているのかと言えば、それは、神の教え、聖書の言葉から外れていることです。聖書を読まれている時、この言葉に感動した、心動かされた、というところもあるかもしれませんが、逆に、何てことを言うのだ、とても聞きたくない、と思ってしまうことはないでしょうか。まっすぐに受け入れられず、心を閉ざしてしまう、これこそ的を外れている罪です。
この思いからは、自分の力で逃れることは出来ません。それが、奴隷の状態です。自分ではできないからこそ、誰かに解放してもらわなければなりません。だからこそ、この私の力ではどうにもならないことをしてくださり、罪の奴隷から解放してくださったのが、イエス・キリストです。
そして、ただ解き放ってくださっただけでなく、生き生きと生きるために必要な神の言葉を与え続けてくださり、今日も、あなたの一日を支えてくださっているのです。