キリストへの時間

自分の口と唇でではなく

放送日
2025年5月11日(日)
お話し
唐見敏徳(忠海教会牧師)

唐見敏徳(忠海教会牧師)

メッセージ:自分の口と唇でではなく

【高知放送】

【南海放送】

 おはようございます。広島県竹原市にあります、忠海教会の唐見です。

 今週、スイスのバーゼルで大きな音楽イベント、「ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト」(以下、ユーロヴィジョン)が開催されます。ユーロヴィジョンは、毎年5月に行われるヨーロッパの一大音楽イベントで、今年は、13日の火曜日と15日の木曜日に準決勝、そして、17日の土曜日に決勝戦が行われます。

 大会名に「ユーロ」とついていますが、オーストラリア、イスラエルなど、ヨーロッパ以外の国も参加しています。各国の予選を勝ち抜いたアーティストが、それぞれの楽曲をライブ演奏し、投票によって優勝者を決定します。

 ユーロヴィジョンの歴史は長く、1956年に「ユーロヴィジョン・グランプリ」として始まってから、今回で69回目を迎えます。ギネスブックに載っている長寿コンテンツなのですが、基本はヨーロッパ内のテレビ音楽イベントのため、ヨーロッパ以外ではほとんど知られていませんでした。しかし、インターネットを通じて視聴できるようになり、ユーロヴィジョンをテーマにした映画がネットフリックスで公開されるなど、近年、世界的に認知度が高まりました。さらに、二年前から、視聴だけでなく、投票もできるようになりました。
 
 ユーロヴィジョンは、予定調和的に進行するグラミー賞や日本レコード大賞などと違い、アーティストとの一体感、臨場感をより感じることができ、それが、大きな魅力になっています。選考方式も、グラミー賞などのように運営団体の関係者による決定ではなく、シンプルに投票によって決まります。

 審査員による投票と、一般視聴者による投票の合計で勝者が決まりますが、いずれも、自国のアーティストには投票できない、というルールがあります。つまり、もし仮に日本のアーティストがユーロヴィジョンに参加できたとして、日本人は、そのアーティストに投票することはできません。それぞれの国の審査員と視聴者は、自国以外でよいと思うアーティストに投票し、もっとも得票数の多いアーティストが、優勝者になります。
 
 この仕組みは、ユーロヴィジョンの運営の要諦だろうと思います。音楽作品を客観的に評価して優劣をつけるのは、極めて困難なことです。すべての人を納得させることは、実質的に不可能で、そのため、いわゆる「疑惑の判定」が生じてきます。その真偽がどうであれ、そのような疑惑が生じること自体、大会の信頼性を著しく棄損します。

 その点で、すべての投票を明らかにしたうえで、なおかつ、投票者は自国のアーティストには投票しないという方法は、特に、異なる言語、民族が参加する音楽イベントにおいて、極めて重要な役割を果たしているといえます。
 
 そして、これは、音楽イベントのことだけに限りません。聖書には、「自分の口で自分をほめず、他人にほめてもらえ。自分の唇でではなく、異邦人にほめてもらえ。」(箴言27:2)と書かれています。これは、旧約聖書にある箴言の一節です。

 人は誰しも、今お話ししている私自身も含めて、他人の自慢話はあまり聞きたくないけれども、自らは自慢話をしてしまいがちなところがあります。また、自分の考えを、良いもの、正しいものとみなし、それに固執する傾向があります。この聖書の言葉は、自慢話を戒め、他者の客観的な評価の重要性について教えています。

 そして、これは、他人の評価を第一にする、ということではありません。聖書は、「正しい者はいない。一人もいない。」(ローマ3:10)と語るように、全ての人が罪や弱さを持つ存在である、と指摘します。その意味では、他人の評価も当てにはなりませんし、それに依存するのは危険なことでもあります。

 この聖書の言葉が真に求めているのは、他者の評価そのものではなく、他者の評価を通して示される神の御心を大切にすることです。

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※ホームページでは音楽著作権の関係上、一部をカットして放送しています。