尾崎純(東仙台教会牧師)
メッセージ:リミッターをかけない
おはようございます。日本キリスト改革派の東仙台教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
ある牧師が、次のような思い出話を書いています。小学校を卒業した時に、父がお祝いしてくれた。父は、自分をデパートに連れて行き、「ここにあるもので欲しい物を何でも買ってあげよう」と言った。私は大いに驚き、喜んだ。ただ、父がどれだけのお金を持っているのかを知らなかった。
それで、結局、5,000円もしないものを選んだ。それでもある程度満足できたのだ。何年か経ってから、父がその時に、100万円の現金と、それでも足りなかった場合に備えて、小切手まで用意していたことを知った。私は、父の気持ちに、自分で勝手にリミッターをかけてしまったのだ。
この牧師は、ずいぶん大人びた子どもであったそうです。そして、この人は、父に対する信頼が足りなかった、と書いています。だからこそ、この人の父は、このようなことをしたのでしょうが、父に対して大人びる必要はありません。
イエスは、天の国に入るのは、子どものような者である、と言いました(マタイ19:14参照)。子どもは、望んでいることをすべてそのまま大人に要求するものです。そこで、大人が困る場合もありますが、その大人がもし、100万円を持っていたとしたらどうでしょうか。まして、父なる神は、すべてを所有しておられるのです。そして、父が子に求めるのは、自制することではなく、信頼です。
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