石川亮(芸陽教会牧師)
メッセージ:出会い~神とアブラハム
【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。高知県安芸市本町二丁目、森澤病院裏手にある芸陽教会牧師、石川亮です。
今週も、この放送をお聞きくださるあなたと共に、御言葉の恵みにあずかることができることを嬉しく思います。
先週は、イエスと4人の漁師たちの出会いの場面から、御言葉の恵みにあずかりました。聖書の中には、しばしば神と人が出会う場面が描かれています。今朝取り上げるのは、旧約聖書創世記12章にある、神様とアブラハムの出会いです。
神様とアブラハムが出会う場面では、アブラハムはまだ、アブラムという名前で、「ハラン」という土地にいました。元々彼の出身は、カルデアの「ウル」という土地です。アブラハムは、父親のテラと妻のサライと甥のロトなどと、ウルからハランまで旅をしてきました。聖書は、ハランで父親テラが205年の生涯を閉じたことを述べています。
そのハランの地で、アブラハムは神様から、「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。」(創世記12:1)と言われます。この言葉の不思議なところは、すでに、アブラハムは生まれ故郷のウルを離れていることです。ハランの地で、神様とアブラハムが出会ったように思えます。しかし、15章7節では、「わたしはあなたをカルデアのウルから導き出した主である。」と神様が言われていることから、もしすると、神様とアブラハムは、すでにウルで出会っていたのかもしれません。
アブラハムは、神様から、「ここに行きなさい」と、はっきりと目的地を示されたわけではないと思います。また、彼が進む先には、何が起こるか分かりません。彼が行く道は、平坦なものばかりが続くわけではないでしょう。神様は確かに、アブラハムに祝福の約束を語るのですが、それは、今よりも先、将来についてのものです。つまり、アブラハムにとって、神様から与えられる祝福は、明確な保証が目に見える形で示されたわけではありませんでした。
しかし、アブラハムは、神様の言葉に従い、目的地を知らぬままに、父親と妻と甥とでハランまで旅をしてきたのです。もし、ラジオを聞いているあなたが、自分が生きている間に実現することなく、「家を出て、わたしが示す地に行け」と言われたら、その言葉に従えるでしょうか。おそらく、多くの人が躊躇してしまうと思います。しかしアブラハムは、神様を信頼し、その言葉に従い、故郷を出て、旅立ちました。
このアブラハムの行動から、私たちは、神を信じるとは何かを知ることができます。神を信じるとは、神様から示された目的地と約束に向かって、ひたすら歩み続けることです。私も、出身地である神奈川県から、全く知らない土地である高知県へと、神様に導かれてやってきました。アブラハムと同じように、目に見える形で保証を与えられていません。しかし私は、アブラハムと違い、信仰が強いわけではありません。何かある度に神を疑う、不安と恐れを覚えてしまう、弱いものです。
そんな私が、神様の導くままに、逃げずに何とか従うことができる理由は、3つあります。1つは、神様と出会って以来、神様が正しく偽りがない方であること。次に、神様は示した目的地に必ず導き、与えると約束した祝福は、必ず与えてくださる方であること。3つ目は、神様が、私たちに救いという祝福を与えるために、御子イエスを犠牲にするほど、私たちへ大きな愛を注いでくださっている方であることを、今も示し続けていることです。
そして、人を最善へと導く正しい方である神様の愛が、あなたにも注がれているのです。ラジオを聞いているあなたが、神様と出会い、信じて、新しい一歩を踏み出すことを願っています。
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