小出昌司(高知教会牧師)
メッセージ: 新しい年を迎えるために
【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。高知市の上町4丁目にある、改革派高知教会牧師の小出昌司です。
クリスマスが終わって、西暦2024年という年も、あと3日で暮れようとしています。
西暦というのは、暦の違いによって少しの誤差はありますが、イエスさまの誕生から数え初めて2024年が過ぎたことを表わしています。イエスさま誕生以前の年代は、「紀元前何年」という風に表しますが、英語では「before Christ」の略号である「BC何年」という風に表わしますから、この世の年号は、ずっとイエス・キリストというお方との関係で数えられているのです。
同じように、聖書も、イエスさまの登場を境にして、「旧約聖書」と「新約聖書」に分けられています。新約・旧約の「約」という文字は、「約束・契約」を表わしていますが、神さまの旧い約束も、新しい約束も同じで、救いの方法が変わっているだけですから、聖書は、時代が変わっても、私たちにとっては救いの書であるのです。
聖書の中に、旧約と新約の時代の交代式のような場面がありますから、年の終わりにご紹介しておきますが、それは、福音書記者のルカが記録しています(ルカ2:22-35参照)。イエスさまがお生まれになってから40日経った時、両親のヨセフとマリアが、生後間もないイエスさまを連れて、エルサレム神殿にやって来た時のことです。
そこに、まるで申し合せたかのように「シメオン」という老人が、神殿の境内に入ってきたのです。シメオンは、イスラエルの慰め主を待ち望んでいたのですが、「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない」(ルカ2:26)という約束を神さまから受けていましたから、神殿での旧約のシメオンと、新約のイエスさまとの出会いは、偶然のように見えながら、神さまによって導かれて起こった出会いであったのです。
その時シメオンは、イエスさまを抱き上げていますが、両親を除いて、この世に生まれた神の御子を最初に抱き上げたのは、神殿の祭司でもなく、ユダヤ教の律法学者でもなく、信仰篤い一人の老人であったのです。
シメオンは、「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり この僕を安らかに去らせてくださいます。」(ルカ2:29)といって、安らかに死ねることを讃美していますが、それは、「神さまから与えられていた新約の救い主として誕生したイエスさまを祝福する」という、務めを果たし終えることができた喜びが大きかったからです。
シメオンは、母のマリアに、イエスさまが「イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするため」(ルカ2:34)という定めをもって生まれてこられたことを伝えていますが、それは、神さまによって選びの民とされているイスラエル民族が、イエスさまが登場された新約の時代になってからは、イエスさまをまことの救い主メシアとして信じない者たちと、イエスさまを救い主メシアと信じる人たちとに分かれることを意味しています。
シメオン老人が、イエスさまの誕生記事の最後に登場しているのは、イエスさまを祝福するためだけではなく、長かった旧約時代が終わりを告げ、新しい約束の時代が始まったことを知らせるためでもあるのです。
私たちは皆、暦的には西暦の時代、聖書的には新約の時代に生まれていますから、イエスさまの十字架によって実現している救いの中に生かされているのです。しかし、シメオン老人が伝えているように、神さまがご計画されている救いを信じる人と信じない人とに分かれているのです。旧約の神殿は、新約の教会に代わっていますし、イエスさまを直接見ることはできませんが、教会と聖書があるのですから、イエスさまに会いに行くことも、イエスさまの教えを聞くこともできるのです。
どうでしょうか。2025年幕開けの初詣には、教会に行ってみてはいかがでしようか。1月1日は日曜日ではありませんが、元日の礼拝を行っている教会は多くありますし、1月5日の日曜日には、必ず礼拝を行っていますから、ぜひ教会で初詣をなさってください。
では皆さま、良いお年をお迎えください。そして、新しい年が今までにない救いに満ちた年となりますよう。
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