9月28日(月) ゼカリヤ11章
「もし、お前たちの目に良しとするなら、わたしに賃金を支払え。…」
彼らは銀三十シェケルを量り、わたしに賃金としてくれた。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』ゼカリヤ書 11章12節
驚くほどに奇妙なのは、神の言葉が軽んじられたことです。聖書も知らず、約束にあずかることもなく歩んだ人びとにおいてではありません。神が語りかけ、神が御業をもって養い導いた民において、神の言葉の価値がふさわしく認められることがありませんでした。神は、預言者をとおして問います。自分なりに見て判断し、その価値を見積もって「わたしに賃金を支払え」。
払われた賃金は銀三十シェケルでした。これは、労働の対価でさえありません。奴隷への対価です(出21章32節)。まずは、預言者への価値判断でしたが、それは主とその言葉への価値判断でした。主は預言者に言われました。「それを鋳物師に投げ与えよ。わたしが彼らによって値をつけられた見事な金額を」(ゼカ11章13節)。
恐ろしい価値判断です。しかし、誰が神とその言葉の価値を正しく判断できるでしょうか。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」。主イエスにも、同じ対価が支払われました(ヨハ1章14節、マタ27章9節)。
その価値を知るのは、福音においてです。キリストにおいて、救いの道を歩むに応じて、です。慌てて知ることもできません。
【祈り】
どのような希望が与えられているか、どれほど豊かな栄光に輝いているか、悟らせてください。




