
新井主一(高島平キリスト教会牧師)
メッセージ:人間とは何者か~詩編8編から~
おはようございます。高島平キリスト教会牧師の新井主一です。
今週は、詩編8編から、夏の終わり、そして新しい季節に向かう私たちの信仰の糧を与えられてきました。
この詩篇8編は、「主よ、わたしたちの主よ あなたの御名は、いかに力強く 全地に満ちていることでしょう。」(詩編8:10)と、冒頭で謳われたフレーズが繰り返されて終わります。このリフレインからわかることは、この賛美をしているのは、「わたし」という個人ではなくて、「わたしたち」という信仰の共同体で、今で言いますと、「教会」であるということです。この詩編は、教会の賛美なのです。
しかし、その上で私たちは、この詩編が詠まれた背景であります「バビロン捕囚」という圧倒的マイノリティな立場で、異教徒に囲まれて、信仰者同士が寄り添ったその姿を思い巡らしたいのです。決して大きな群れではなかったはずです。10人、20人とばらけた、弱く貧しい集団であったのではないでしょうか。まるで、私たちの姿であります。
しかし、いつの時代も教会は、むしろそれがノーマルなのです。圧倒的な力を持った異教社会の中で、少数の信仰者が寄り添って神を礼拝し、救い主を待ち望む。これが、神の民の姿であります。しかし、その取るに足らない信仰者の群れを、神は愛でてくださるのです。
この詩編は、途中で、「人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう」(詩編8:5)、と問いました。この問いかけには、ヨハネ福音書の3章に記されたイエスの言葉によって、最終的な回答が出されています。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」(ヨハネ3:16)、これです。これが、「人間は何ものなのでしょう」、その結論です。
最も大切な独り子さえ惜しまずに与えてくださるほどに、私たちは神に愛されている。一人でも多くの方に、この計り知れない神の愛と恵みを信じていただきたいのです。
※あさのことばのプレゼント締切はその週の土曜日です。




