リジョイス聖書日課

ヨハネ17章 十字架にあらわれる神の栄光

放送日
2026年8月10日(月)
お話し
金昭貞(神戸改革派神学校講師)

8月10日(月) ヨハネ17章

イエスは…天を仰いで言われた。「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』ヨハネによる福音書 17章1節

 主イエスは「時が来た」と祈られました。それはまさに「子が神の栄光を現す」時です。

 本来、「栄光」の辞書的な意味は、隠しきれずに溢れ出す輝かしい光や名誉を指します。世の中では、成功して自分の名を広く知らしめることが栄光と呼ばれます。

 一方、ヨハネによる福音書における「栄光」は、主イエスの「十字架の死」と深く結びついています。世の人々は十字架を恥や失敗と見なしますが、主イエスは十字架の死をとおして父なる神があがめられることを願われました。なぜなら、神は人間が考えるような華やかできらびやかな方法ではなく、最も悲惨な十字架上での御子の死をとおして、ご自身の本質である愛と威厳を現されるからです。

 主イエスは天地創造の前から本質的な栄光を携えておられましたが、十字架という死をとおして、その神の栄光が人びとに知られることとなりました。このように、神の栄光を現すとは、自分の名が知られることではなく、十字架の死によって神の本質が現れることを意味します。

 私たちもまた、日々自分を低くし、与えられた十字架を負って主に従うとき、その歩みをとおして神の栄光を現す者とされるのです。

 【祈り】

 主よ、私たちが常に自分の十字架を背負うことをとおして、あなたの栄光を現させてください。アーメン