リジョイス聖書日課

ゼカリヤ7章 果たして誰のため何のためか

放送日
2026年9月22日(火)
お話し
貫洞賢次(札幌伝道所宣教教師)

9月22日(火) ゼカリヤ7章

「果たして、真にわたしのために断食してきたか。…
ただあなたたち自身のために食べたり飲んだりしてきただけではないか。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』ゼカリヤ書 7章5-6節

 神に従うことを喜びとするか、重荷とするか。二つに一つかもしれません。預言者に「節制して悲しみのときを持つべきでしょうか」と尋ねた人びとは、神に従うことを重荷とし始めていました。長年続けてきたけれども、喜びも変化もないかのように考えたのかもしれません。実際、神の預言が成就して、バビロン捕囚から解放されました。エルサレムの神殿の基礎も据えられました。すでに二十年近くが経ちました。しかし、最初の目覚ましい変化は続かず、神殿の工事も、さまざまな妨害の中で、滞っていました。

 預言者をとおして、神が語られました。「主が先の預言者たちによって呼びかけられた言葉を知らないのか」(7節)。先祖たちに語られた言葉は、今も生きているのです。その時代、先祖たちは、その表向きの熱心にもかかわらず、心から聞き従うことはありませんでした。そして、「彼らは喜びの地を荒廃に帰させた」(14節)のです。

 状況は変わりました。しかし、神へと向かう心の現実は変わったか。先祖たちに語りかけた主は、昨日もきょうも変わりません。悔い改めと信仰へと招いておられます。そのために、預言者が語り、主の言葉がそこに与えられました。

 【祈り】

 主のもとで重荷を軽くして、主を喜ぶ道へと進むよう、主の言葉を理解させてください。