3月10日(火) ヨブ5章
見よ、幸いなのは
神の懲らしめを受ける人。
全能者の戒めを拒んではならない。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』ヨブ記 5章17節
エリファズの言葉は続きます。彼はもはやヨブを慰めるつもりはありません。むしろ神に代わってヨブを裁こうとします。ヨブが神の教育的配慮を正しく受け止めないからです。
エリファズの信じる神は因果応報の神です。すべての出来事には、原因に基づく結果があると考えています。現在の境遇が悪いのは、悪しき原因があるからです。もとを正さなければ望む結果は得られません。ヨブが受けるべきは神の懲らしめです。神がいたずらに苦難をお与えになるはずがないからです。ですから、苦難に遭うときは喜ぶべきです。その人は、神の取り扱いを受けているのです。
エリファズの言葉には一理あります。そうです。確かに神が私たちに苦しみを与えることがあります。キリストを信じる私たちに苦難はつきものです。そしてそのとき、私たちはしばしば神の善き御心を忘れてしまいます。けれども、神は私たちをただ懲らしめるのではありません。苦難をとおして神の愛を示し、憐れみで包むことこそ、神の御心なのです。
神は私たちのためにキリストを与えてくださいました。十字架のキリストを差し出すことで、神は私たちの罪を示されます。十字架のキリストを見て罪を悔いる人に、神は復活の希望を与えてくださいます。
【祈り】
苦難に遭うとき、わたしはあなたの御心を忘れてしまいます。御手を伸べて守ってください。アーメン









