2月8日(日) マタイ5章13-20節
「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』マタイによる福音書 5章16節
山上の説教で主イエスが弟子たちに語られた「塩」と「光」の比喩は、クリスチャンの本質的アイデンティティを明確に示しています。塩は古代社会において貴重な物でした。食べ物の味を付け、保存する役割を果たし、清めの意味も持っていました。主イエスは弟子たちを「地の塩」と呼ばれました。これは、腐敗しゆく世の中で腐敗を防ぐ役割を果たし、神の御言葉によって世に真の味わいをもたらす存在であることを意味します。
しかし、塩が塩気を失えば何の役にも立ちません。同様に、クリスチャンが世と区別されず世俗化すれば、神の前でその存在意義を失います。私たちは絶えず神の御言葉の中で新しくされ、聖い生活を通して塩の役割を果たさなければなりません。
「世の光」という言葉はより積極的な意味を含んでいます。光は闇を追い払い、道を照らし、隠すことのできない存在です。山の上の町が隠れることができないように、燭台の上に置かれたともし火が家を照らすように、私たちの生活は自然に神の栄光を現す道具となるべきです。光を輝かせる目的は、人びとが私たちの行いを見て天の父をあがめるようになることです。私たち自身を現わすためではなく、神の栄光のためです。
【祈り】
父なる神よ、私たちを塩と光として召してくださり感謝します。私たちの生活と行いをとおして神の栄光が現わされますように。アーメン









