
申成日(広島教会牧師)
メッセージ:夜の安息を迎えるありがたさ
【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。広島教会の申です。今朝の気持ちはいかがでしょうか。いつも穏やかな日々を過ごすことができますようにお祈りいたします。
リスナーのあなたは、静かな夜の方が好きな方でしょうか、あるいは、朝の時間が好きな方でしょうか。この番組をラジオで聞いているあなたなら、朝早く起きられる方だと思いますので、朝の方が好きかもしれません。でも、一日の多くの仕事を終えて夜寝床に着く時も、今日の一日のすべてを無事に終えたことに感謝することもあると思います。
ほぼ毎日、規則的な時を過ごしているわたしですが、時々、いつもより忙しい一日を過ごす時もあります。朝目が覚めた時から、夜寝床に着くまで、緊張を解くこともできず、トイレさえ自由にいけないような忙しい一日を終えると、その日の夜、寝床に就いた時は、本当に夜の安息が与えられていることにありがたさを感じることがあります。
しかし、そのような忙しいことだけではなく、何か大変な行事や、あるいは衝撃的な出来事、また、心に残るような光景を目撃したことなど、様々な形で心が騒ぐことを経験した日の夜の安息は、何よりのありがたさがあるでしょう。でも、わたしたちは、自分の人生の中で、そのような夜の安息を迎えることができない辛さを経験することもあります。
聖書の中に、息子の反逆によって命を狙われて、逃亡生活をしながら、眠れない夜を過ごす王がいます。それは、あの有名な「ダビデ王」です。ダビデ王には、10名ほどの息子がいましたが、彼の3番目の息子が、父親である王に逆らって、王位を狙ってきました。ダビデ王は命を狙われて、逃亡生活を強いられたのです(サムエル下15:13-16参照)。
ダビデ王は、一国の王でありながらも、いつ敵が現れるか分からないので、洞窟などに身を隠して、不安な夜を過ごさなければなりませんでした。普通ならば、全く安心して横たわることもできなかったはずです。でも、そのような状況で書かれた彼の詩の中には、「身を横たえて眠り わたしはまた、目覚めます。」(詩編3:6)と言っています。
どうして彼は、そのような状況の中で、安心して横たわることができたでしょうか。そのあとの内容を見ると、「主が支えていてくださいます。いかに多くの民に包囲されても 決して恐れません。」(詩編3:6-7)と言いました。つまり、神様の守りを固く信じていたので、身の危険が迫っている状況の中でも、安心して横たわることができたのです。
砲弾が飛び交う激しい戦争の中でも、平安の内に母の胸元で眠る赤ん坊の姿を映像で見たことがあります。どうして、そのようなことができるでしょうか。それは間違いなく、自分を守ってくれる母親に対する絶対的な信頼があるからでしょう。だから、そのような平安の内に眠ることができます。
今日の一日、これからどのようなことがわたしたちに待ち構えているのか、わたしたちは全く分かりません。何もなく普通に過ごす一日になることもあれば、想像もしなかった大変な一日が待ち構えることもあるかもしれません。
でも、自分の人生を導き、支えてくださる神様がいることを信じるならば、どのようなことがあっても、夜の安息を迎えることができると思います。そのような夜の安息のありがたさを味わうことのできる、あなたの人生になりますようにお祈りいたします。
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