
中山 仰(花見川教会牧師)
メッセージ:心で見る信仰
おはようございます。花見川キリスト教会牧師の中山仰です。
今日は、目の不自由なことについて、少し考えてみましょう。人生の途中で、ある時目が見えなくなったとしたら、どんな気持ちでしょうか。不便を通り越して、生きていくことが難しいと考えてしまうことでしょう。
私たちと同じグループの静岡教会には、盲人伝道センターがあります。そこには、何人かの盲人の方々が所属しており、何人かは、礼拝に出席しておられます。その方々の証しを聞くときに、中途で失明した方々は、ほとんど例外なく、自殺を考えておられることを知りました。無理もないと思います。私でも、途中で目が見えなくなったら、同様な思いとなることでしょう。
ある時、目の見えない婦人の証しを聞きました。「もし私の目が見えていたら、神を信じることはなかったでしょう」と言われました。私は、そのことに驚きました。
生まれつき目が不自由な方でも、明るく生きておられる方がおられます。ピアニストの辻井伸行さんは、世界をまたにかけて活躍されています。静岡教会に所属されているある姉妹は、若い時から、盲導犬と共に強く生きて、アメリカ留学されて帰って来られています。
聖書には、生まれつきの盲人の癒しの話があります。イエスの弟子たちは、その障碍の責任は、本人か、両親が罪を犯したからか、という質問をしました。イエスは、「神の業がこの人に現れるためである。」(ヨハネ9:3)と諭します。そして、その盲人の目が見えるように癒しました。
私たちは肉眼が見えていても、心の目が曇っているなら、神の言葉を正しく見ることはできません。また、真理を知ることはできないでしょう。









