12月8日(月) 雅歌7章
喜びに満ちた愛よ
あなたはなんと美しく楽しいおとめか。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』雅歌 7章7節
「もう一度出ておいで、もう一度姿を見せておくれ」(1節)という呼び声が聞こえてきます。あなたを主日礼拝から送り出し、また次の礼拝へと招いてくださっている主イエスの御声であるかのようです。
礼拝の中においても、主イエスは大勢の人の中にいるあなたという一人の人に目を注いでおられます。4章に続いてまたしても、あなたという一人の人の体全体に主の眼差しが具体的に注がれます(2~6節)。喜びの礼拝を終えたあなたは「わたしは主のもの。主がわたしを求めている」(11節参照)と、生き生きと感じ、心は次回の礼拝へと向かいます。
主は「あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださる」方です(ロマ8章11節)。だからこそ「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」(同12章1節)。主のものとして生かされている「自分の体」を思い、この体を聖なるいけにえとして献げるというとき、そのことを抽象的な観念としてではなく、具体的な現実として考えましょう。それこそがあなたのなすべき喜びに満ちた礼拝です。
また次の礼拝へ、あなたの愛の「新しい実も、古い実も」主のもとにたずさえて行きましょう(14節)。
【祈り】
礼拝から礼拝へと向かう生き方を祝福してください。主と過ごす愛の喜びの時間を増し加えてください。









