12月5日(金) 雅歌5章
友よ食べよ、友よ飲め。
愛する者よ、愛に酔え。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』雅歌 5章1節
「友よ食べよ、友よ飲め」(1節)の「友」は複数ですから、神の民一人ひとりに対して「愛する者よ、愛に酔え」と言われています。それはただ一人の仲間ゆえです。主が「戸をたたいている」ことを聞き取って「目覚めた」(2節)一人の人がいたことが教会全体の喜びとなります。
最初その人は主が見つかりませんでした(6節)。そこでその人は教会の仲間にとりなしの祈りを頼みました(8節)。そのとき教会の仲間たちは、その人が自分にとっての主という方がよく分かる手助けをしたようです(9節)。その人の意識は次第に、愛する主の「口」つまり「主の口から出る言葉」の「魅惑」に集約されていき、「これがわたしの慕う人」だという確信に至ることができました(16節)。
一人の人の救いは教会全体の喜びです。「友よ食べよ、友よ飲め。愛する者よ、愛に酔え」という主の喜びの御声が、教会員一人ひとりに届きます。礼拝が真実にイエス・キリストの祝宴となるのは、一人ひとりの人とキリストとの愛の出会いの喜びによってです。キリストとの一つ一つの固有の愛の物語が相集うところ、それが礼拝という祝宴です。「あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう」(イザ55章2節)。
【祈り】
戸をたたいている主に気づかせてください。主を心に迎え入れる喜びの祝宴に連ならせてください。









