10月3日(金) エゼキエル46章
国の民は、安息日と新月に、門の入り口の所で主に向かって礼拝しなければならない。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』エゼキエル書46章3節
神は幻の中で、神礼拝の指示をエゼキエルに与えます。安息日と新月の日には、民の礼拝のために神殿の内庭の東向きの門が開かれます。
民は神殿に集い、門の入り口の所で主に向かって礼拝します。新月の祭りは月毎の祭りです。もとは家庭で祝われていたようです。特に第七の月の新月の日は安息日として守られていました。週毎に、そして月毎に民は神殿で礼拝することを求めておられます。
その礼拝の際には、祭司たちが犠牲を献げている間、君主も門柱の傍らに立っていなければなりませんでした。かつて君主が偶像礼拝に堕落したために、神殿での礼拝が軽んじられました。国は滅び神殿は破壊され、裁きを受けました。滅ぼされた神の民の再建は神礼拝の建て直しによります。神は新しい神殿での礼拝をエゼキエルに示されました。そして礼拝での犠牲の詳細が語られます。
また、巡礼祭(過越祭、七週祭、仮庵祭)の指示と朝ごとにささげられる犠牲も命じられました。それは毎朝の礼拝です。君主も民もすべてのものが主の日ごとに、日ごとに礼拝をします。今、公的礼拝はキリスト教的安息日として日曜日に行われています。毎朝の礼拝は私的な礼拝として継承されています。
【祈り】
主なる神様、私たちが主の日ごとに、朝ごとにささげる礼拝を祝福してください。アーメン